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大韓民国憲政史の断層:尹錫悦前大統領による非常戒厳と「内乱」の全貌

大韓民国の民主主義は、2024年12月3日の夜、未曾有の危機に直面した。尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領(当時)が宣布した非常戒厳は、わずか6時間で解除されたものの、その後の弾劾、罷免、そして内乱罪としての刑事訴追に至る一連の過程は、国家の根幹を揺るがす巨大な地殻変動となった。本報告書では、地政学的リスク分析および法学的検証の観点から、この「上からのクーデター」と称される事態がいかにして計画され、どのように失敗し、そして2026年現在の法廷においてどのような審判が下されようとしているのか、その深層を詳細に解明する。

目次

第一章:2024年12月3日、凍てついた民主主義

大韓民国において、戒厳令という言葉は1987年の民主化以降、歴史の遺物となったと考えられてきた。しかし、尹錫悦前大統領は、立法府を掌握する野党との熾烈な政治的対立を背景に、極端な国家緊急権の発動を選択した。この決定は、突発的なものではなく、後の特別検察官の捜査によれば、1年以上も前から綿密に練り上げられたシナリオの一部であった可能性が浮上している 。

戒厳宣布の背景と「反国家勢力」の定義

2024年後半、尹政権は歴史的な低支持率と、野党「共に民主党」による相次ぐ閣僚や検察官の弾劾訴追、さらには政府予算案の否決という、事実上の「国政マヒ」状態に陥っていた 2。2024年12月3日22時23分、テレビを通じて国民の前に現れた尹氏は、野党を「北朝鮮に追従する従北勢力」および「国家機能を麻痺させる反国家勢力」と断じ、憲法秩序を守るために非常戒厳を宣布すると宣言した 。

この談話において、尹氏は自身の行動を「自由な憲政秩序の守護」と正当化したが、国際社会や法曹界からは、これが権力を維持するための「セルフ・クーデター」であるとの批判が即座に巻き起こった 。

緊迫の6時間:国会議事堂包囲網と市民の抵抗

戒厳宣布と同時に、陸軍参謀総長の朴安洙(パク・アンス)氏が戒厳司令官に任命され、一切の政治活動を禁じる「戒厳令布告第1号」が発令された 。これを受けて、武装した軍・警察部隊が国会議事堂へと急行した。

時刻(2024年12月3日〜4日)出来事の時系列詳細主な行動主体
22:27非常戒厳を正式に宣布尹錫悦大統領
22:42共に民主党、全議員を国会へ招集野党指導部
23:04国会議事堂の全入口が封鎖、物理的衝突開始警察・治安部隊
23:30戒厳令第1号の発令(政治活動・報道の規制)朴安洙戒厳司令官
23:57707特殊任務団がヘリコプターで国会屋上に降下、議場進入を試行陸軍特殊戦司令部
01:02国会本会議にて戒厳解除要求決議が190対0で可決在籍議員190名
04:30大統領が国務会議を経て戒厳解除を宣布尹錫悦大統領

軍の特殊部隊はヘリコプターで議事堂に侵入し、窓を破って内部に入り込んだが、そこにはすでに壁を乗り越えて駆けつけた国会議員や補佐官、そしてSNSを通じて集結した市民たちの姿があった 5。憲法第77条第5項は、国会の過半数の賛成による戒厳解除要求に大統領が従うことを義務付けており、未明の解除決議によって、尹氏の試みは法的な拠り所を完全に失ったのである 。

第二章:憲法裁判所による断罪と職務罷免

戒厳解除後の韓国社会は、尹氏の即時退陣を求める激しい「ろうそく集会」の波に包まれた。2024年12月14日、国会は204名の賛成をもって大統領弾劾訴追案を可決した 。これにより尹氏は職務停止となり、憲法裁判所における審理が開始された。

罷免決定の法的根拠:重大な憲法違反

2025年4月4日、憲法裁判所は裁判官8人全員一致の意見で、尹錫悦大統領の罷免を決定した 。裁判所は、非常戒厳の宣布そのものが憲法および法律に対する「重大な違反」であると結論づけた。その理由は、当時の国内情勢が憲法に規定された「戦時、事変、またはこれに準ずる国家非常事態」に該当しなかったためである 。

裁判所が指摘した具体的な違憲行為は以下の通りである。

  • 戒厳解除権の侵害: 軍隊を動員して議員の議場進入を妨げた行為は、憲法が保障する国会の戒厳解除権を事実上無効化しようとしたものである 9
  • 司法の独立への攻撃: 戒厳軍に対し、特定の政治家のみならず、元最高裁判所長官や判事の逮捕・位置把握を指示したことは、三権分立を根底から破壊する行為である 。
  • 選挙管理委員会への違法介入: 令状なしに中央選挙管理委員会に軍を侵入させ、電算システムを撮影し、職員の携帯電話を押収した行為は、令状主義および憲法機関の独立性を著しく侵害した 。

憲法裁判所は、これらの行為が「国民の信任を裏切る背信行為」であり、憲法守護の観点から容認できないと厳格に批判した 。

第三章:内乱罪の捜査と「1年前からの謀略」

罷免後、尹氏は民間人として、かつて自らがそのトップを務めた検察組織、および特別検察官による刑事捜査を受けることとなった。不逮捕特権を失った尹氏は、2025年1月15日に逮捕され、26日には「内乱罪」の首謀者として起訴された 。

趙恩淑(チョ・ウンスク)特別検察官による衝撃の報告

2025年12月15日、趙恩淑特別検察官は6ヶ月に及ぶ捜査結果を発表した。この報告内容は、単なる政治的暴走を超えた組織的な内乱の全貌を明らかにするものであった 。

捜査によって判明した核心的な事実は、戒厳計画が2023年10月頃から既に始まっていたという点である 。尹氏と金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相らは、野党を排除し権力を独占するために、以下のスキームを構築していたとされる 。

  1. 軍幹部の人事掌握: 戒厳に協力的な側近を要職に配し、反対が予想される国防相や司令官を事前に更迭していた 。
  2. 北朝鮮の挑発誘導疑惑: 戒厳の正当性を確保するため、2024年10月に平壌へ無人機を飛ばすなどの「異常な軍事作戦」を命じ、北朝鮮側の武力行使を意図的に引き出そうとした疑惑が浮上している 。
  3. 収容施設の準備: 戒厳宣布後、数千人の政治家や反対勢力を拘束するため、法務部を通じて刑務所の収容能力を確認させ、釈放枠の調整まで指示していた 。

特別検察官は、これら一連の行為を、憲法秩序を武力によって破壊しようとした「典型的な内乱(セルフ・クーデター)」と定義した 。

第四章:2026年1月、世紀の裁判と死刑求刑の争点

2026年現在、ソウル中央地方裁判所では尹前大統領および共犯者たちに対する公判が佳境を迎えている。法廷では、検察側と弁護側による激しい論戦が繰り広げられている。

首謀者としての責任と求刑内容

2026年1月9日、ソウル中央地裁で行われた最終公判において、特別検察官は尹前大統領に対し、法廷で許される最高刑を求刑する方針を固めた 。韓国刑法第87条(内乱)によれば、首謀者に対する刑罰は「死刑、無期懲役、または無期禁錮」の3つのみに限定されている 。

被告人名当時の主な役職起訴事実の要旨予想される刑罰の範囲
尹錫悦第20代大統領内乱の首謀、職権乱用、公務執行妨害、利敵行為死刑、無期懲役
金龍顕国防部長官内乱重要任務従事、殺人未遂(予備)、軍事反乱重刑(終身刑の可能性)
趙志浩警察庁長官内乱重要任務従事、国会封鎖指示有期または無期の重禁錮
韓悳洙国務総理(首相)内乱幇助、不法な国務会議主導懲役15年(求刑)

検察側は、尹氏が一切の罪を認めず、反省の弁を述べるどころか「統治行為であった」と強弁し続けていることを重く見て、最も重い刑を求める構えである 。

弁護側の主張:「統治行為」と judicial review の限界

対する弁護側は、大統領による戒厳宣布は高度に政治的な判断に基づく「統治行為(Act of State)」であり、司法審査の対象外であると反論している 。また、戒厳はあくまで「警告」であり、実際に憲法機関を解散させたり恒久的に破壊したりする意図はなかったとして、内乱罪の構成要件を否定している 。

しかし、裁判所は既に「統治行為であっても憲政秩序の根幹を揺るがす明白な違法がある場合は司法の裁きを受けるべきである」との見解を示しており、弁護側の主張が通る可能性は低いと専門家は分析している 。

第五章:引き裂かれた社会と民主主義のレジリエンス

尹錫悦政権の崩壊は、韓国社会に深い分断をもたらした。一方で、この危機は韓国の民主主義が持つ強靭性(レジリエンス)を再確認する機会ともなった。

社会的影響:深まるポラライゼーション(極性化)

2024年12月の事態以降、韓国の世論はかつてないほど激しく対立している。支持率が一時13%という史上最低値を記録した際、大多数の国民は尹氏の退陣を支持したが、熱烈な支持層の間では「尹大統領は左派勢力の専横から国を守ろうとした悲劇の英雄である」との見方が根強く残っている 。

  • 世代間・ジェンダー間の対立: 1980年代の民主化運動を経験した世代と、MZ世代(ミレニアル・Z世代)との間で、政治に対する認識の乖離が拡大している。また、ジェンダー問題を背景にした政治的対立も「文化戦争」の様相を呈している 。
  • デジタル・エコーチェンバー: YouTubeやSNSを通じて、極端な政治的主張が拡散され、相手陣営を「悪」と決めつける風潮が強まっている。専門家は、これが今後の韓国民主主義にとっての最大の脅威であると警告している 。

国際的な孤立と回復への道

尹前大統領が目指した「グローバル中枢国家」としての地位は、この事態によって一時的に大きく毀損された 。スウェーデン首相の訪問中止、日米韓首脳会談の延期、さらには米国による核協議会合の無期限停止など、外交上のダメージは甚大であった 。

しかし、2025年6月の補欠大統領選挙を経て誕生した李在明(イ・ジェミョン)政権は、日米韓の安全保障協力を再建し、国際的な信頼を回復させるための集中的な外交を展開している 。米国政府も「韓国の民主的システムと司法判断を尊重する」との声明を出し、同盟関係の安定化に努めている 。

結論:歴史の審判と韓国の未来

2024年の非常戒厳事態は、民主主義がいかに脆弱であるか、そして同時に、目覚めた市民と独立した制度(国会、裁判所)がいかに強力な防波堤となり得るかを示した。尹錫悦前大統領に対する内乱罪の裁判は、単なる一政治家への復讐ではなく、「法の支配」が権力の頂点に立つ者にも例外なく適用されることを証明する、韓国現代史の重要な一ページとなるだろう。

2026年2月に予定されている判決は、韓国のみならず、世界中で懸念されている「民主主義の後退」に対する一つの明確な回答となることが期待されている。国家緊急権という名の刃が二度と国民に向けられないよう、憲法的、制度的、そして文化的な変革を成し遂げることが、この悲劇から立ち上がる大韓民国に課せられた最大の使命である。

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