1. 導入:野村万蔵家、三代がつなぐ「笑い」と「業」の300年
伝統の重圧を、芸の力に変えて
狂言――。それは、室町時代から続く日本最古の喜劇でありながら、その深淵には人間の滑稽さ、残酷さ、そして愛おしさが凝縮されています。その伝統を300年以上にわたり守り続けてきたのが、野村万蔵家です。 現在、この一家には三つの世代が共存しています。96歳にして今なお舞台に立つ人間国宝・野村萬。還暦を迎え、円熟味を増す九世当主・野村万蔵。そして、29歳という若さで狂言界の未来を担う野村万之丞。親子三代が同じ舞台を共有し、技を伝承していく姿は、まさに生きた日本の歴史そのものです。
「最高秘曲」への挑戦という宿命
狂言には、特定の年齢や修業を積んだ者しか演じることが許されない「大曲」や「秘曲」が存在します。それは単なる技術の習得ではなく、演者の人生経験や精神性が試される場所。今回の『芸能きわみ堂』は、万之丞の「花子」、そして万蔵の「枕物狂」という、二つの大きな挑戦に密着しています。
2. 番組データ:放送日時・出演者・ドキュメントの意義
放送スケジュール詳細:2月27日(金) 21:00、幽玄の世界への招待
本番組は、2月27日(金) 21:00〜21:30、NHK Eテレ(名古屋・全国)で放送されます。一週間の終わりに、日本の美意識の極みに触れる30分間。スタジオでは高橋英樹さんや大久保佳代子さんらが、敷居が高いと思われがちな狂言の魅力を分かりやすく紐解きます。
密着で見える「稽古場」の狂気と静寂
番組が捉えたのは、華やかな舞台の結果だけではありません。そこに至るまでの、壮絶な稽古の日々。師匠であり父である万蔵から、息子・万之丞へ飛ぶ厳しい叱咤。あるいは、96歳の萬が孫を見つめる静かな眼差し。カメラは、血縁だからこそ許される「芸の継承」という名の真剣勝負を克明に映し出します。
3. 29歳・野村万之丞が挑む「花子」:愛欲と欺瞞のドラマ
大曲「花子(はなご)」とは何か
狂言師にとって、20代から30代にかけての大きな関門とされるのが「花子」です。あらすじは、ある男が「座禅を組んで修行をする」と妻に嘘をつき、その隙に愛人(花子)のもとへ通うというもの。妻の目を盗むための身代わりを立て、愛の喜びを謳歌して帰ってきた男が、最後には妻にバレてしまう……という、現代にも通じる喜劇的状況が描かれます。
「装束」の重さと「心情」の軽やかさ
万之丞が挑むのは、この男の「軽薄さ」と「一途な愛欲」の同居です。狂言の型は厳格ですが、その中でいかに「愛する人に会いたい」という人間臭い感情を爆発させるか。29歳の若き狂言師が、先祖代々受け継がれてきた型という器の中に、自らの瑞々しい生命力を注ぎ込む瞬間は必見です。
4. 60歳・九世野村万蔵が挑む「枕物狂」:狂気と慈しみの極致
最高秘曲「枕物狂(まくらものぐるい)」の深淵
番組の核となるのが、当主・万蔵が挑む「枕物狂」です。これは狂言の中でも最高秘曲の一つとされ、演じられる機会も極めて少ない大曲です。描かれるのは、百歳の老人が、若い女への恋に狂い、扇や枕を手に舞い狂う姿。老人の枯れた肉体から溢れ出す、やり場のない情熱。それは醜悪でありながら、どこか神々しささえ感じさせる究極の表現です。
還暦という「人生の折り返し」での挑戦
60歳を迎えた万蔵。体力的には全盛期を過ぎ、精神的には円熟へ向かうこの時期に、なぜこの「狂い」の曲に挑むのか。父・萬がかつて見せた背中を追い、自らもまた「老い」と向き合いながら、狂おしいほどの生命の執着をどう演じるのか。 稽古場で、万蔵は自らの身体に問いかけます。「動かなくなった部分を、どう表現に変えるか」。そこには、技を超えた「魂の削り合い」が存在します。
5. 人間国宝・野村萬の眼差し:96歳が見つめる「芸の永劫」
三代が揃うことの奇跡
96歳の人間国宝・野村萬。彼は、息子・万蔵の挑戦をどう見ているのか。また、孫・万之丞の成長をどう感じているのか。番組では、萬が稽古を見守る様子が映し出されます。言葉数は少なくても、その存在自体が「狂言の教科書」である萬。 三代が同じ空気の中で芸を磨く光景は、一人の人間がなし得る仕事ではなく、家族という単位が300年かけて積み上げてきた「時間の集積」であることを教えてくれます。
6. 運命の本番:2024年12月、舞台に降臨した神
舞台本番、静まり返る能楽堂
番組後半では、昨年12月に行われた本番の映像が初公開されます。万之丞の躍動する舞、そして万蔵の「枕物狂」における、静寂を切り裂くような叫び。 狂言は「笑い」の芸ですが、最高秘曲の舞台には、客席をも凍りつかせるような緊張感が漂います。観客は、舞台上で老人が狂い、そして我に返る姿を通して、自分自身の「生」を突きつけられるのです。
7. 視聴者が学ぶ「伝統」と「革新」のバランス
狂言は、古くて新しい
SNSではよく「狂言は現代のコントのようだ」と言われます。しかし、この番組を見れば、そのコントの背後にどれほどの「規律」と「覚悟」があるかが分かります。 型を忠実に守ることが、逆に個性を引き出す。野村万蔵家の挑戦は、クリエイティブな仕事に携わるすべての人にとって、大きなヒントになるはずです。
8. まとめ:2月27日、私たちは「芸のきわみ」を目撃する
結び:受け継がれる「火」
「伝統とは灰を崇拝することではなく、火を絶やさないことである」という言葉があります。野村万蔵家が守っているのは、古びた型という「灰」ではなく、舞台上で燃え上がる命の「火」そのものです。 29歳の万之丞から、60歳の万蔵、そして96歳の萬へ。逆方向にも流れる芸の血脈。2月27日の夜、私たちは、一つの家族が300年かけて磨き上げた「最高秘曲」という名のダイヤモンドを目撃することになります。
