1. 医師からの宣告と「死」の影
うつ病による休職中も続く妻からの暴言。心身ともに磨り減り、ふとした瞬間に「いっそ消えてしまいたい」という衝動に駆られるようになりました。診察室で医師に現状を吐露すると、医師は厳しい表情でこう告げました。
「このままでは、あなたの命が危ない。できるだけ家庭から物理的、精神的に距離を置きなさい」
その言葉で、私は自分が「死の淵」に立っていることを突きつけられました。しかし、同時に一つの強い思いが湧き上がりました。「子供が成人するまでは、絶対に死ねない」という親としての執念でした。
2. 「死」を覚悟した末の開き直り
「これ以上追い詰められて死ぬくらいなら、もう何も怖くない」 そう覚悟を決めた瞬間、不思議なことに心に「開き直り」が生まれました。これまで、妻を怒らせないように、家庭を壊さないようにと怯えて過ごしてきましたが、その恐怖の根底にあったものに気が付いたのです。それは、私自身の「妻への精神的な依存」でした。
どこかで妻が変わってくれることを期待し、暴力や暴言を「自分が至らないせいだ」と飲み込んできた。その甘えと弱さが、自分自身を今の地獄に縛り付けていたのだと、客観的な視点を持てるようになったのです。
3. 「これはDVだ」という現実の受容
ネットの記事を読み漁り、匿名でカウンセリングを受けた際、担当者ははっきりとこう言いました。「あなたが受けているのは、紛れもないDV(ドメスティック・バイオレンス)です」。
それまで、妻を愛する気持ちや「家庭を壊してはいけない」という強迫観念から、その事実を認めることを拒んできました。しかし、専門的な知識を得て、自分の置かれた状況が法的な「不法行為」にあたると知った時、恐怖は少しずつ「冷徹な現状分析」へと変わっていきました。専門機関の窓口を知り、法的手段という「逃げ道」があることを理解したことは、大きな安心感に繋がりました。
4. 人生の目的を再定義する
私は、考え方を根本から変えることにしました。
- これまでの思考: 妻の機嫌をとり、家庭を維持することでいつか報われる。
- これからの思考: 子供が成人するまでの期間を、淡々と「耐え抜くための任務」と割り切る。そしてその日が来たら、迷わず離婚する。
「自分が弱かった」と認めることは、決して敗北ではありません。それは、自分の足で立ち、自分の人生を取り戻すための出発点でした。
5. ターゲットとしての自覚と「静かな自立」
妻を「パートナー」として期待するのをやめ、自分は「ターゲット(標的)」にされているのだと自覚しました。それ以来、彼女のヒステリーも暴言も、嵐が過ぎるのを待つかのように聞き流せるようになりました。心はもう、彼女には依存していません。
今、私は「子供の卒業」というゴールを見据え、その後に手にする自由のために、冷静に、かつ着実に準備を進めています。



