第1回:プロローグ 〜「これはDVなのか?」という違和感の正体〜
「うちの妻、ちょっと性格がキツいだけなのかな?」 「それとも、これが最近よく聞く『モラハラ』ってやつなんだろうか……」
そんな漠然とした違和感を抱えながら、僕は長い間、暗闇の中を歩いてきました。「精神的DV」という言葉を自分に当てはめるまでには、気の遠くなるような時間と、削り取られるような精神的な消耗が必要でした。
今日は、僕が「何かがおかしい」と感じ始めた、我が家の日常についてお話ししようと思います。
浮気、そして巧妙に逆転した「罪悪感」
すべての崩壊のきっかけは、妻の浮気でした。発覚した当初、彼女は人目も憚らず涙を流し、「捨てないでほしい」「もう二度としない」と僕に泣きついてきました。僕はその涙を信じ、何より自分が必要とされているのであれば、やり直す道があるのではないかと、別れるのを踏みとどまりました。
しかし、地獄はその直後から始まりました。驚くべきことに、一度謝ってしまえば彼女の中では「その件は完全に終了」しており、それどころか「一度許されたのだから、これからは何をしても大丈夫だ」という身勝手な免罪符を手にしたかのように振る舞い始めたのです。
翌朝、リビングに現れた彼女は驚くほどケロッとしていて、あろうことか子供たちの前で、浮気相手との楽しかった思い出や相手のスペック、彼がどれだけ自分を大切に扱ってくれたかといった話を、まるで週末のレジャーの思い出でも語るかのようにペラペラと話し始めました。
そのあまりに無神経で異常な光景に、僕の頭は真っ白になりました。 「子供の前でそんな話をするのはやめてくれ」 「そもそも、まだ僕は傷ついているし、解決なんてしていない」
震える声でそう伝えると、彼女の表情は一変し、鋭い刃のような攻撃が飛んできました。 「いつまでもネチネチと昔のことを蒸し返すお前が悪い」 「一度謝ったんだからもういいでしょ。そんなに人を責めてばかりいるから、こっちの気持ちが離れるんだよ」
彼女の論理では、裏切った本人の罪よりも、裏切られた痛みを抱えている僕の「存在」のほうが、家族の平和を乱す悪質なものへとすり替えられていきました。
繰り返される裏切りと、崩壊する境界線
一度目の浮気を「許した」ことは、彼女にとって「浮気をしても最終的には許される」という誤った学習をさせてしまったようでした。それ以降、彼女の行動はますます大胆で不誠実なものへと変わっていきました。
平然と他の男の部屋へ遊びに行き、夜遅くまで帰ってこない。当然、夫としてそれを指摘し、家族としての節度を求めましたが、返ってくるのは決まって激しい拒絶でした。 「ただ遊びに行っているだけなのに、どうしてそんなに疑うの?」 「あなたの束縛が激しいから、私は息が詰まるのよ」
僕が家族を守ろうとすればするほど、彼女は僕を「異常な独占欲を持つ加害者」として責め立てました。そして案の定、彼女はまた別の人と二度目の浮気を繰り返したのです。
泣きついてすがってきたあの時の涙は何だったのか。必要とされていると感じた僕の心は、彼女にとって都合の良い「受け皿」でしかなかったことに気づかされました。本来なら被害者であるはずの僕が、気づけば「執念深く、心の狭い、妻を追い詰める加害者」として扱われる。この歪んだ構造こそが、後に知る精神的DVの恐ろしい罠でした。
地雷を踏まないように歩く毎日
我が家では、彼女の機嫌がすべてのルールです。 ほんの少し気に入らないことがあるだけで、家の中には氷のような沈黙(無視)が流れるか、あるいは烈火のごとき罵倒が飛び交います。
彼女の中に「自分が悪い」という選択肢は存在しません。 どれだけ理不尽なことでも、常に100%僕が悪い。自己中心的な論理で追い詰められ、僕はいつの間にか「彼女を怒らせないこと」だけを考えて、家の中で爪先立ちで生きるようになっていました。
孤立無援。追い打ちをかける「義母」からの電話
さらに僕を追い詰めたのは、妻を育てた義母の存在です。 過干渉なまでに娘を甘やかしてきた義母は、親戚中や、あろうことか僕の子供たちの前でさえ、僕の悪口を吹き込みます。
妻が不機嫌になり、勝手に実家へ帰ったときのことです。仲裁に入ってくれるどころか、義母から一本の電話がかかってきました。
「娘が嫌がっているんだから、もう離婚すれば?」
耳を疑いました。 僕は、まだ成人していない子供たちのために、妻からの執拗なモラハラにも、無視にも、理不尽な罵倒にも必死に耐えてきたのです。「子供の親」として家庭を維持しようと身を削っている僕に対して、義母は娘の「わがまま」だけを正当化し、平然と離婚を突きつけてきました。
娘の非を認めるどころか、まるで僕が娘を苦しめている悪者であるかのように扱い、子供たちの未来すら軽んじる。この親子にとって、僕は「家族」ではなく、ただ都合よく使われる「外部の人間」に過ぎないのだと痛感した瞬間でした。
消えていくお金と、消されない「不満」
経済的な面でも、歪みは深刻でした。 妻はパートで扶養の範囲内で働いていますが、その収入はすべて自分の小遣いになります。家賃、光熱費、食費、生活に関わるすべての費用は僕が負担しています。
それなのに、彼女の口から出るのは不満ばかり。 「私はこんなに大変なのに、あなたは何もしてくれない」
自分が一銭も出さずに生活できているという事実は、彼女の頭からは都合よく消去されているようでした。お金を出しても、心を尽くしても、返ってくるのはさらなる罵倒と悪口だけ。僕の存在意義は、ただの「ATM」でしかないのだろうか。そんな虚しさが胸を締め付けました。
これは、ただの「夫婦喧嘩」ではない
「どこの家庭もいろいろある」 「男なら耐えるべきだ」
そんな言葉に縛られてきましたが、ようやく気づき始めました。これは単なる性格の不一致でも、よくある夫婦喧嘩でもない。
僕が受けているのは、人格を否定し、精神を少しずつ破壊していく**「精神的DV」**なのだと。
このブログでは、僕がこの違和感の正体に向き合い、自分自身を取り戻していくまでの道のりを綴っていこうと思います。もし、今これを読んでいて「自分も同じかもしれない」と苦しんでいる方がいたら、伝えたいです。
あなたは、決して悪くありません。
※この記事は書きかけの記事です。今後記事の追加を行います。
